回想録 最終回①

1D9C231C-4206-497C-94A7-DE630EDF28A0.jpeg
何処の風景か忘れた?でもいい感じ

世界中にある数あるスポーツの中で、俺はちょっと結果を出した陸上競技のジュニアの指導者にすぎない。
陸上=マラソンだったり100mだったりする一般人からすれば、ある競技のある種目など興味の対象ですらないことを、俺はよく知っているしそれ自体には大した価値も無いのかもしれないとさえ感じる?
ただそこに関わった選手たちや保護者の方々、スタッフや支援者にとっては、その小さな結果こそに大きな意味と価値があるものだ。
今から書く最終回には長男が登場するが、ここにもまた筋書きの無いドラマは確かにあった!
それは2014年に長崎県で国体開催が決定した瞬間から始まった。
長男が小学校に入学する年の春、俺は後に女子やり投げで日本ジュニア記録を樹立することになる松本百子を下宿生として口加に迎え入れるため、一軒家を借りて実家を出た。
同じ町内での家族との別居生活は、娘がまだ3歳だったこともあり、時々お風呂に入れに帰るくらいの距離感で、そこから12年間もの間、実家に寝泊まりはしなかったから、子供たちとお風呂に入り帰ろうとすると、幼い娘は玄関先まで見送りに来て「お父さんまた来てね!」とよく手を振っていた。
後ろ髪を引かれる?その頃の俺は、親元を離れてこれからいろんな選手たちが下宿にやって来る、親も選手もその寂しさや不安と戦いながら過ごしているのに、その指導者が我が子可愛さで実家に泊まる?それは出来なかった。
俺は下宿生が実家に帰っている時も、一人で下宿に寝泊まりしたから、嫁はともかく子供たちがどんな気持ちで過ごしていたのか!未だに聞かずにいる。
そんな後ろめたさの中、長男が小学4年生になる春、2人でお風呂に入っていると「お父さん4年生になったら陸上部に入るよ!」突然そう言い出したとき、思わず涙が出てきて浴槽の中で顔を洗った記憶がある。
物心がつく前の乳飲み子の頃から、家族の外出は試合か合宿と決まっていたから、口加高校の選手たちが子守係をしていた。
合宿のミーティングも、怒鳴り散らす俺の姿をジッと見つめていた、そんな息子だった。
卒業文集で将来の夢というテーマで「口加高校の陸上部でやり投げをして、全国優勝すること!」尊敬する人「お父さん」
どうですか皆さん、良い話でしょう?
ハイハイ、間違いなく嫁のおかげです!
まったく家にいない父親を、こんな風に思わせてくれた嫁に心から感謝しています。
長崎国体の誘致が決まったとき、対象の学年を逆算すると、なんとその長男が高校3年生の年だったという、嘘のような本当の話!
俺が49歳の年、「ここが俺の引き時やな!」密かに決心した。
あれ?ちょっと長すぎますよねぇ?
最終回は2部にしますか・・

この記事へのコメント