回想録⑧

2003年は正月から地元のメディアに出まくっていた?地元インターハイの前年度、茨城インターハイで2年生だった女子円盤投げの林田を4位、男子やり投げの鬼塚を6位に入賞させていたから、長崎インターハイでの優勝候補として新聞とテレビのニュースに引っ張りだこ!と言うわけだ。
弱小県の悲しさがここにある。
そこには、まだ若く自分の指導力を評価されたかった俺がいた。
「この前テレビ出てましたよね?」地元ではそこそこの有名人になっていて、それがどれほど後々地元開催の恐ろしいプレッシャーとして、選手共々襲われていくことになるか?なんか、調子乗ってた俺は考えもしなかった。
そして7月末、運命の長崎インターハイが開幕、NHKの総合開会式で選手宣誓をした2人のアスリート代表が、林田と鬼塚だったのだから指導者冥利は通り越して、絵も知れない緊張感の中にいた。
早速次の日から陸上競技が始まり、林田が県勢第1号の金メダル、鬼塚が2人目の金メダルと、下馬評通りのダブル優勝をあっさり?決めた。
次の月の陸マガに表紙を飾ったこの2人の全国チャンピオンの誕生によって、俺は全国の舞台へと名乗りを上げた!
6年前、決起集会で述べた若造の決意表明が現実となり、陸協の偉い方々はさぞかしびっくりされたに違いない?
「目指さない夢は叶わない!」を信条とし、選手たちには「十代に限界は無い!」と言い続けた田舎者の指導者は、「アイツは預言者か?」と一目置かれる存在に、一か百かしかない田舎の価値観にはいつもびっくりさせられた。(笑)
インターハイ後、毎日新聞のインタビュー記事で「凄いことやり遂げましたが次の目標は?」の問いに、グラウンドの隅っこで鉄棒にぶら下がる丸々した女の子を指差して、「あいつに2年後女子やり投げで日本高校記録を投げさせることですね!」と話していて、その1年生だった松本は、次の年の埼玉国体で本当に日本高校新で2年生優勝していたのだから、自分でも怖くなるくらいの快進撃ぶりだった・・
更に2年後、佐賀インターハイで男子やり投げの西田が奇跡の優勝!
それまで歴代10人もいなかった県勢のインターハイ優勝者を、5年で4人というハイペースで育て上げたのだから、ちょっとくらい自慢しても、やっぱダメ?

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